自分の考えが欲しい
自分で考えるというのは本当に難しい。何か考えたつもりになっても実は過去に読んだ本を引用しているだけだったりしている。そんな中、ふと「考えるとは何か?」を考えていた。
「考えるとは何か?」を定義するにあたって、今回は、よく似た行為である「記憶する」、「妄想する」を定義することで、違いが何であるかを明確にするというアプローチをとった。なお、「記憶する」、「妄想する」、「考える」がMECEになっているかどうかはここでは考慮しない。
まず、「記憶する」とは「人体に備わった感覚器によって計測した連続した情報を、時間軸を保持して取り出せるように記録することであり、抽象化はしない。」と定義する。例えば、「そこの角を右に曲がるとセブンイレブンがある」などである。
次に「妄想する」とは、「記憶した情報を目的に則って抽象化し再度具体化することで都合の良い世界をイメージすることである。」と定義する。つまり、体の感覚器によって計測する情報を自分で都合の良いように作り出すことといえる。
では、「考える」とは何か?「記憶した情報を抽象化して具体化する。そして、過去の類似の記憶と比較して尤もらしさを判断する」と定義する。
この定義が正しいかどうかはわからない。しかし、これからの時代は自分の頭で考えることが重要であると思う。
次なるテーマは「記憶とは何か?」「抽象化とは何か?」「判断するとは何か?」である。